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個別記事の管理2010-04-07 (Wed)
忘れもしない28年前の3月。

夜9時になって仕事の終わった両親と私と弟で
お茶を飲んでたんです。

その日は父の大好物の桜餅。

「もうひとつ食べようかな・・やめとこうかな・・」と父。

「やめといたら?また胃が痛いって言うんやで。」と母。

そこには、いつもの会話がいつものようにありました。

そのうち父はトイレに立ったのですが
すぐ戻ってきません。

「お腹でも痛くなったんかな~?」
と心配した弟がトイレを見に行きました。

そこには顔面蒼白で倒れている父。

「父ちゃん、父ちゃん、父ちゃん」

何度呼んでも返事はありません。

息をしていないようにも見えました。

私は急いで119番に電話。

実際は5分くらいで救急車が到着しましたが
あの時ほど時間が長く感じたことはありません。

あとはもう「これって夢やんな~」と思うほど
自分でも何をして何を言って何を考えていたのか
今でもよく思い出せないんです。

当時は救急車の搬送先は大野市内の病院に限られてたので
近くの病院へ。

診察した医師の発した言葉はとてつもなくショッキングな内容でした。

「脳出血です。もう瞳孔も開いてます。手の施しようがありません。」

父は大野の病院で死ぬのを待っていた状態だったわけです。

と、そこへ県立病院の婦長をしていた父の従姉から
「今すぐこっちに連れてきて!」と連絡があり
父はまた救急車で福井の県立病院へ。

着くなり緊急手術。

頭蓋骨に穴を開け痛んだ脳みそを冷蔵庫に保管しつつ
患部にたまった血液を取り除き、出血している血管を金属グリップで
留めるという12時間にも及ぶ大手術でした。

病名は「くも膜下出血」

当時父は46歳。

働き盛りをなんの前触れもなく突然襲う病気です。

手術が終わって一命は取り留めたというものの
意識は戻らず俗に言う植物人間の状態のまま1年過ごし
その後、退院してから徐々に回復しましたが
左半身麻痺と失語症の後遺症が残りました。

身体障害者となった寝たきりの父との
長い長い28年が過ぎて今思うこと。

たとえ寝たきりでも車椅子でも言葉がうまく話せなくても
父は生きていてくれました。

私の結婚式の時、初孫を初めて抱いた時
それはそれはうれしそうな父の顔を見ることができました。

今日。

巨人の木村コーチが父とおなじ病気で亡くなりました。

残されたご家族のみなさんのお気持ちを考えると
胸がおしつぶされそうです。

お子様の成長を楽しみにしていらしたでしょうに。

人が生きるということは
こんなにも不確かなものなんですね。

今は生きてるけど
明日どころか1時間後のことさえわからない。

今この一瞬を一秒たりとも無駄にしたくない。

与えられた命を一生懸命生きなければ!


あらためて心からそう思いました。


asuwayama.jpg
(昨年の4月 足羽神社のしだれ桜の前で)


* Category : 家族のこと
* Comment : (2) * Trackback : (-) |

* by かず
木村コーチのくも膜下出血!
ノック中に倒れた!
衝撃のニュースから 数日…
『奇跡は 起きなかった』
原監督の涙に もらい泣きしてしまいました。
本当に 明日の事は わからない… 数分後の事も わからない… そう感じました。どんなにか 心残りだったか… もう話すこともできない! 先日 姪っ子が 小学校に 甥っ子が 高校に入学しました。亡くなった母の楽しみにしてたこと…きっと 遠くから見ていると思います。

* by noriko
>かずさん
姪っ子さん、甥っ子さんのご入学おめでとうございます!
お母さんにも見えてると思いますよ。絶対!
形のあるものを手にすることより
大切な誰かと同じ時間を過ごすことが
幸せだったりするんですね。
生きてる私たちは精一杯
楽しくやりましょうね♪

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